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大王製紙井川前会長告白「106億円を失ったカジノ地獄」


ウーン、すごい、すごすぎる。大王製紙井川前会長のギャンブル。井川前会長は東大卒だそうですから、すごい賢い人なんでしょう・・・しかし、ギャンブル依存症、病気なんですね・・・恐ろしや・・・

以下、デジタル大衆記事からの引用

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カジノに注ぎ込んだ総額106億8000万円。
2011年9月、世間の耳目を集めた"大王製紙創業家3代目の巨額カジノ騒動"。
井川意高(いかわもとたか)前会長が問われた直接的な罪は、自らが率いていた大王製紙の連結子会社7社から55億3000万円を不正に借り入れ、損害を与えたとされる会社法違反(特別背任)。
最終的に、懲役4年の実刑判決が確定している。

名門企業の長男に生まれ、東大に現役合格。
卒業後に大王製紙入りし、42歳にして社長に就任……。
すべてを手にしていたはずの男は、なぜ"カネの沼"にハマり込んでしまったのか。
すでに"塀の中の人"となった井川氏だが、このたび一連の騒動を記した自著と『熔ける~大王製紙前会長井川意高の懺悔録』(双葉社刊/11月15日発売)を上梓。
本誌は9月下旬、収監直前の井川氏に接触。
今週から2週にわたり、騒動の裏側をすべて語ってもらう。
※※
「2011年5月、私はシンガポールのカジノリゾートホテル『マリーナ・ベイ・サンズ』で大勝負をしていました。バカラで勝利を重ね、目の前に積み上げられていたチップは、サラリーマンの平均生涯賃金のおよそ10人分に該当する20億円分。そのまま勝ち逃げすることも当然、可能でした。しかし、この時点で私は50億円を超える"借金"を抱えていました。大王製紙社長の職にあった10年5月以降、連結子会社から巨額の資金を借り入れる"裏技"を常態化させていた私は、マカオのカジノ『ギャラクシー』や『ウィン・マカオ』に毎週末通う中で、その大半を失っていました。借りる、負ける、また借りる……そんなことを繰り返すうちに、最後には一気に負けを取り返そうと、マックスベットが50万シンガポールドル(現在のレートで約3 950万円)と大きいシンガポールのカジノに通うようになりました。これまでにも7億、15億円といった大勝ちは体験済みでした。『マリーナ・ベイ・サンズ』では、目の前にある20億円を倍に、いや、もっと増やして、借金をチャラにしたい一心でした」

丸2日を費やした『マリーナ・ベイ・サンズ』の大勝負は、井川氏の負けに終わる。
20億円分のチップは、シンガポールの夜の闇に吸い込まれていった。

「最初のカジノ体験は、90年代半ばに行ったオーストラリアでのことです。初カジノを前に、私は帯封がついたままの100万円を軍資金に、ブラックジャックとバカラを楽しみました。この2泊3日のカジノ体験で、私の100万円は2000万円に化けたのです。

いま思えばかわいいものですが、2000万円もの大金を手にしたことは、興奮と驚き以外の何ものでもありませんでした。ただ、本格的にカジノ、つまりバカラに深入りしたのは08年以降です。もともと知り合いだった友人がジャンケットの資格を取ったことをキッカケに、マカオのVIPルームでバカラに興じるようになったのです。ジャンケットとは、マカオ独自のシステムで、滞在中、客のマネジャー兼コンシェルジュとして振る舞いながら、カネ貸しの便宜も図ってくれます。もちろん、すべて私の責任なのですが、ここからカジノの深みにハマり込みました。私が手持ちの軍資金が尽きたとき、ジャンケットはカジノや自身が所属する運営会社からの借金を仲介してくれます。運営会社からカネを借りるときは、ジャンケットが持っているカーボンコピー式の小切手帳のような書類にサインするだけでした。身分証の提出などは不要で、それだけで時には1億円といったカネを利子ゼロで貸してくれます。ただ、無制限にカネを引き出せるわけではありません。要は"コイツは、この金額までなら返せるだろう"というラインの見極めがあったようです。あるとき、マカオで負けが込んだ私は、このジャンケットが所属する運営会社に一度で4億円を超える借金をしてしまったんです。でも、そのおかげで奇跡が起きました。連勝に連勝を重ね、一時はなんと4億円のプラスにまで持っていったのです。しかし、帰途に就くときには、そのカネをすべて失っていました」

カジノに没入していた当時の井川氏は、我々には想像もつかない方法で、軍資金を調達したこともあったという。

「いま思い返すと馬鹿を通り越して呆れるだけなんですが、自分のブラックカードを使って多額のカネをつくったこともあります。あるとき、マカオに2泊3日で勝負に出かけたはいいが、到着初日に種銭をすべてスッてしまった。残り2日を何もしないのも馬鹿らしい……そこでジャンケットと一計を案じました。マカオの『ウィン・ホテル』にロレックスの専門店が入っているのですが、翌朝10時の開店と同時に、ここで高級時計を10個ほどまとめて購入しました。中国人の金持ちに人気だという、無数のダイヤがキラキラ光る悪趣味な代物でした。1つ、およそ300万円で、しめて3000万円。これを教えてもらった質屋に持っていきました。買い取り価格が思ったよりも安く、結局、1350万円にしかなりませんでした。…


でも、この種銭で勝負したところ、ギャンブルの神様が私に微笑みました。ロレックスの購入資金3000万円を取り戻すどころか、大幅なプラスに持っていくことができたんです。私は質屋に預けたロレックスは質流れにするつもりでしたが、友人のジャンケットがもったいないと言うので、再び10個の腕時計を回収しました。大勝ちした余韻もあり、そのうち2つを、彼ともう一人の中国人ジャンケットにご祝儀代わりにプレゼントし、残りを今後の勝負の"資金源"として日本に持ち帰ったことを覚えています」

だが、欲望の炎は、最後に井川氏自身の身、そのものを熔かしてしまう。

11年9月7日、当時、会長の職にあった井川氏を告発する社内メールに端を発し、巨額借り入れが公となる。
そのわずか9日後、井川氏は大王製紙会長を辞任。
自転車操業のような資金繰りを続ける中で、理性が働くことはなかったのだろうか。

「会長辞任時点で、47億5000万円分の借金については、自分の現金や株式による代物弁済で返済していました。同じようにして、のちに残りの借り入れ金すべてを返しましたが、辞任当時、60億円余りはまだ未返済の状態でした。"返そうと思えば、いつでも返せる"という甘い気持ちのまま、ズルズルと借り入れを続けてしまった。私は経営者としての本分を忘れてしまっていたのです。なぜ、と問われれば、ただギャンブルが好きだったから、としか答えられない。私は、パチンコにハマって破滅する主婦の気持ちがよくわかります。私とは金額が違う、とおっしゃる方もいるかもしれませんが、根本は同じです。可処分所得をはるかに上回るカネをパチンコに注ぎ込み、なかにはサラ金や闇金にまでカネを借りるようになると聞きます。支払いの限界を超えても、"なんとかギャンブルで勝ちたい"という気持ちが賭場へと足を向かわせてしまう……。カジノのテーブルに着いた瞬間、私の脳内には快感物質が溢れます。丸1日半、何も食べなくても空腹を覚えません。結局、ギャンブルがもたらす高揚感や刺激に、どっぷり浸かっていたのです。実は逮捕前、医師のもとを訪ねたところ、ギャンブル依存症と診断を下されました。自分で自分をコントロールできなかったのですから、やはり私は病気だったのでしょう」



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李明博韓国大統領の天皇陛下侮辱発言

昨年の、韓国の李明博大統領の天皇陛下侮蔑発言は、日本では単に「謝罪せよ」と言った。と報道されていますが、実際は「手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる」などとかなりひどい聞くに堪えないような言葉だったのが真相です。怒!韓国は許せません。

韓国大統領の言葉の直訳
日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い、重罪人にふさわしく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ。そんな馬鹿な話は通用しない。それなら入国は許さない。







また、李明博大統領は、下記のような日本乗っ取り宣言なるものもしているようです。怒!

「たった60万人の在日韓国朝鮮人に支配された1億人の日本人奴隷!」(8月31日、韓国SBSテレビ番組)
李明博韓国大統領が、「北朝鮮の復興は心配ない、日本にやらせるのだ。私が日本にすべてのカネを出させる、我々はすでに日本を征服しているからだ。奴らのカネは我々が自由にできる、日本は何も知らない、フジテレビが証拠、日本人はよだれを垂らして見ている、私にまかせろ、日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ!」
と、いわゆる日本征服宣言を行った。


オランダのインドネシア植民地支配の動画


第2次世界大戦で日本が果たした最も重要な事は、欧米の植民地支配から東南アジアを開放した事でしょう。これは本当に偉大な功績です。

日本は戦争に負けましたが、欧米列強による植民地支配という時代を終わらせました。

もし日本が戦わなければ、今も東南アジアは欧米列強の植民地支配が続いていたかもしれないのです・・・


この動画は、オランダに350年支配されてたインドネシアの植民地支配の実態です

間接統治という狡猾な植民地支配について、わかり易く解説されていますので、是非ご覧下さい。

また、最後に、オランダのアムステルダム市長で、その後オランダの内務大臣に選ばれたエドゥアルト・ヴァン・テ­ィンさんの「アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】」という感動的な話などもありますので、こちらも是非ご覧下さい・・・



オランダに350年支配されてたインドネシアを、日本軍が9日間で解放


欧州列強は世界各地の植民地支配を安定して行うために色々な政策を行った

次の5つはオランダがインドネシア植民地運営で行ったものである

1.東インド植民地政府はオランダの安全と利害に関係ない限り放任し、人民を文盲のままにして各地の土候(サルタン)を使って間接統治した。徹底した愚民政策をしいたのである


2.才知にたけたアンボン人とミナハサ人とバタック人を訓練し、キリスト教に改宗させて優遇し、警察官や軍人として登用。
そして、オランダとインドネシアの混血児を作り中間階級として使い、民族の分断を策した。


3.社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア人の憤慨と憎悪は華僑に集まるように仕向けた。


4.インドネシア人の団結を恐れ、一切の集会や団体行動を禁止した。3人のインドネシア人が立ち話することすらゆるされず、金を犯せば反乱罪で処罰された


5.インドネシア国民の統一を阻止すべく、全国各地域で用いられていた320の種族語をそのままにして、一つの標準語にまとめる企ては絶対に許さなかった


■欧州列強による植民地時代の終焉

1941年12月8日。太平洋戦争勃発。
日本軍はアジアの解放と戦争継続のための戦略資源獲得のために、ヨーロッパ各国が支配するアジア植民地へ進行を開始。

日本政府はできればオランダ領東インドへの無欠進駐を実現したいと考え、1941年12月8日の大東亜戦争宣戦の詔書でもオランダを交戦国から除いていた。

しかし、オランダ政府は12月10日に日本政府に対して「オランダと密接不可分の関係にある米英両国に対し先端を開いたので、日蘭間に戦争状態が存在するに至った」と通告

それでも日本政府は、改選意向のマレー半島や香港での有利な戦況を背景として、オランダ政府に対してスイス経由で工作を行ったが、オランダ政府は進駐を拒絶

1942年1月11日、日本軍はオランダ領のタラカンとメナドへの進行を開始し、翌12日、日本政府は「日蘭間に戦争状態が存在するに至った」旨の声明を発した。

わずか10日ほどの戦闘の後、オランダ東インド植民地軍は全面降伏し、以後、東インド全域は日本の軍政下におかれた。
「オランダによる350年の東インド支配」が実質的に終了したのである。


しかし、インドネシア現地人達に再び試練が訪れた。
第二次世界大戦終結後、植民地支配の味をしめたオランダは1947年7月21日と1948年12月19日に2度にわたって、インドネシア共和国に軍事侵攻。

武装解除していた日本軍からは3万丁以上の歩兵銃、数百の野砲・トラック・軽戦車、食料、弾薬、軍刀など多くの武器弾薬が独立派の手に渡った。

日本軍政下にてアジア民族自立の意識を軍事教練を受けたインドネシア人達は「ムルデカ(独立)」を合言葉にオランダ軍に勇敢に抵抗。

加えて日本に引き揚げずに独立派に身を投じた元日本兵数千人が参戦。

予想以上の抵抗と混乱、そして国際的圧力により、オランダは東インドの再植民地化を断念。

1949年、インドネシアは独立を果たした

太平洋戦争を境に、世界各地で民族自立の独立運動が激化、欧米列強が一方的にアジア、南米、アフリカなどの植民地から富を吸い上げる時代は終わりを告げた。


■オランダ市長の話

アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】


アムステルダム市長で、その後オランダの内務大臣に選ばれたエドゥアルト・ヴァン・テ­ィン(Eduard van Thijn)氏の言葉です。(日本ではよく、「サンティン」と誤って呼ばれています)

アジア諸国だけでなく、戦勝国側でも、大東亜戦争における日本の正当性を認める声が上­がります。

現在、日本に謝罪と賠償を求めているのは、日本と戦っていない中華人民共和­国(中国共産党)と韓国、北朝鮮の3か国だけです。

世界の教養ある人から見れば、日本­の「私たち日本が悪でした」という自虐史観は異常に思えるのでしょう。もうこのGHQ­に押し付けられた嘘だらけの自虐史観を捨てて、真の誇りを取り戻しましょう!【拡散希­望】

光芒(こうぼう)とは、雲の切れ間から太陽の光が線になって差し込む現象です。


インドネシア独立戦争と日本軍の貢献

■インドネシア独立戦争と日本軍の貢献


■インドネシアの侍


日本の古代文字:ヲシテ文字



日本には、漢字伝来前に、独自の古代文字があったようです
その中のヲシテ文字という文字につての動画が桜チャンネルにありました

その文字で書かれた文献を調査してみると、古事記・日本書紀を漢字に翻訳する前の原書であると考えたほうが辻褄があうようで、記紀原書といわれる・・・非常に興味深い内容です


















プロフィール

micky358

Author:micky358
何事にも好奇心旺盛な♂です。
船井幸雄さんのファンで、そこで紹介されていた本をよく読みます。

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