スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」

ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」

株式会社PHP研究所
2013年12月27日発行
著者:百田尚樹・渡部昇一

を読みました。

映画「永遠のゼロ」がヒットしているようですね。
私は約2年前に、この「永遠のゼロ」という本を読んで感動しましたが、今回「ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む失敗の本質」という本を読んで、ますます、大東亜戦争についての認識が深まった気がします。

映画を見た人もそうでない人も、是非一度この本をご覧になって、戦争についての認識を深めて欲しいと思います。

私の場合は、かなり自虐史観から離れつつあると思っていますが、逆に、旧日本軍の反省すべき点(=日本の弱点)についての認識が甘かったように感じました。この本は、その日本の弱点も、美しくも脆い日本刀の姿になぞらえて解説したもので、話が具体的で読みやすく、歴史認識も深まる、なかなかの良書だと思います。

この本の、まえがきと、内容の一部分をメモとして掲載しますので、ご参考にして下さい。


-----------------------------------------------------------
まえがき 奇跡の戦闘機が教えてくれたこと

百田尚樹

 渡部昇一先生とは月刊誌『Voice』誌上で三度対談させていただきました。

 対談テーマは「ゼロ戦(零戦、零式艦上戦闘機)」に始まり、「大東亜戦争」さらに「戦後の復興」や「これからの日本」についてなど、多岐にわたるものでした。しかし一貫してあった大きなテーマは、「日本人とは何か」ということで、毎回、非常にスリリングな対談となりました。渡部先生は御年八十歳を超えているとはとても思えない気力横溢な方で、その博学、洞察力に毎回おおいに刺激を受け、また勉強になりました。

 さて、「日本人とは何か」を考える意味で、日本の歴史上の最大の戦いであった大東亜戦争をつぶさに検討することは大変に重要なことです。日本海軍は広い太平洋で何度もアメリカ海軍と戦いました。勝利した戦いもあれば敗れた戦いもあります。それらを見ていくと、そこには単に戦術だけではない、「国民性」が見えてきます。

 じつは二国が総力を挙げて戦う「戦争」は、しばしばその国(と国民)のもつ長所と短所が露骨な形で現れます。戦術、戦略、兵器、用兵-これらに、その国民性が如実に出るのです。

 その意味で、「ゼロ戦」という戦闘機は、まさしく日本と日本人を象徴する飛行機だったといえます。

 完成した当時は、速度、旋回性、航続距離とも世界最高水準の性能をもち、二〇ミリ機銃を備えた破壊力は群を抜いていました。飛行機の設計は非常にデリケートなもので、速度を重視すると旋回性が犠牲にされ、逆に旋回性を重視すると速度が落ちます。したがってどちらを重視するかということが、設計思想に現れるのですが、驚いたことに零戦は、本来矛盾する両方を兼ね備えた奇跡の戦闘機として誕生したのです。しかし考えてみれば、これは間違った設計思想といえるかもしれません。なぜなら一000馬力という欧米の戦闘機に比べても小さなエンジンしか搭載できなかった戦闘機が、そこまでの性能を発揮することは本来無理だったからです。しかしゼロ戦はそれを可能にしました。「防御力」をすべて犠牲にするという方法で。

 「防御カをなくす」-これは同時代の各国の戦闘機の設計思想にはなかったものでした。ちなみにアメリカの戦闘機は、「パイロットの命を敵弾から守る」ということを非常に重視していました。攻撃力を犠牲にしても防御力を上げました。

 では、なぜゼロ戦には防御が施されなかったのか。別の言い方をすれば、なぜ防御力を犠牲にして攻撃力を選んだのか。じつはここに日本人の国民性があります。これらの話は、渡部先生との対論のなかでたっぷりと語っています。

 国民性が現れるということでは、大東亜戦争の個々の海戦についても同様です。

 勝利のなかにも長所と短所があり、また敗戦のなかにも長所と短所がありました。戦術も用兵もアメリカ軍とは根本的な思想の違いがありました。また限定された戦闘における戦術だけではなく、大きな戦略においても同様です。いや、むしろ戦略眼こそ、もっとも国民性が現れる部分かもしれません。

 これらのテーマにおいて渡部先生との対談は、じつに有意義なものでした。また大東亜戦争を検証することで、現代の日本の長所と短所も見えてきました。

 ところで、大東亜戦争が終わって六十八年が経ちました。六十八年というのはすごい年月です。ほぼ一つの世代が入れ替わる年月です。ちなみにソビエト連邦が誕生して崩壊するまで六十九年かかっています。一つの思想が消えるまでそれくらいの年月が必要ということかもしれません。

 しかし現在の日本が抱える諸問題の多くは、じつは六十八年前の敗戦に起因する部分が少なくありません。もっとはっきりと言えば、戦後のGHQ(連合国軍総司令部)による七年間にも及ぶ占領政策が今も尾を引いているのです。GHQは日本人に「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を施しました。これは日本人に「蹟罪意識」を植えつけることを目的としたものです。この洗脳は完全に成功し、日本人の多くが「自虐思想」をもつに至りました。残念なことに六十年以上経ったいまも、多くの日本人に根強く残っています。その意味では、ソビエト共産主義よりも強い思想を植えつけられたのかもしれません。

 対論の後半では、GHQが日本国民になした「洗脳教育」について語っています。

 この対論をお読みになった読者のみなさんが、日本人とは何かということを考えるきっかけとなり、また新しい日本について真剣に考えるヒントになれば、嬉しく思います。

-------------------------------------------------------------------

世界最高の戦闘機を牛で運ぶ

 百田 一流の職人しかつくれない美しいゼロ戦を生み出す名古屋の三菱工場の環境は劣悪でした。さらにひどいのは、工場の横に飛行場がないため、四〇キロ離れた岐阜の各務原飛行場まで運ぶ必要があったことです。しかもその道路は未舗装のまま。馬で引けば速いが、揺れが大きくなって、せっかく造ったゼロ戦に問題が生じるかもしれない。仕方がないから牛に引かせて、時速三キロ。一晩かけて各務原飛行場まで運び、そこから全国の航空基地へ飛ばしていました。この状態が一九四五年の終戦まで続いたのです。

 ただでさえ製作工程が多くて生産効率が低いのに、完成後の配備も非効率。誰が考えても、工場の横に飛行場をつくるか、飛行場の横に工場を建てるかするのが当然でしょう。それが無理でも、せめて道路は舗装すべきです。当時の道路舗装率が〇・九%とはいえ、前線ではゼロ戦の補給をいまかいまかと待ちかねているのですから。

 ところが、道路管理と飛行場管理の行政が縦割りのため別々で、工場管理は民間とすべてバラバラ。これが、日本という国の弱さの元凶だったのではないでしょうか。

 名刀であったはずのゼロ戦は、開戦二年目に入ると生産性に加えて質も落ちていきます。物資やエネルギーの不足はもちろん、発動機(エンジン)製造に不可欠な、一〇〇分の一ミリ単位で金属を正確に削る工作機械の消耗が進んだことが理由の一つ。その工作機械はアメリカ製なので、新たに調達することは不可能でした。日本はそのあてもないまま戦争していたのです。

 さらにいうと、日本的な平等主義のせいで、世界最高の戦闘機の部品をつくることができる一流の職人にも、平等に赤紙が来て兵隊に取られました。本当の意昧での、代わりの人材はいません。

 人手が足りなくなって、「地元の中学生でも呼んでこい」「女子挺身隊」だと数をかき集めて、美しくない粗悪なゼロ戦が製造されていきました。

 渡部 戦争に勝つためには、優れた兵器や軍事物資を開発生産して安定的に供給しなければならず、その全体最適を実現するための総合的なシステムが必要です。あの戦争では、その肝腎なことが見落とされていました。残念ですが、民度の低さといわざるをえません。

 その点、同じ敗戦国でもドイツは違いました。日本の戦中における国内総生産のピークは昭和十六(一九四こ年です。ミッドウェー海戦前、昭和十七(一九四二)年にはすでに落ちはじめていたのです。以降伸びることはありませんでした。一方、ドイツのピークは一九四四年です。ドイツ軍が東部戦線のスターリングラードで大敗を喫したのは一九四三年二月ですが、その後も国内経済は伸びていました。

 ドイツ経済と軍需産業を支え、戦争遂行可能なシステムのグランドデザインを描いたのはシュペーア軍需相です。建築家のシュペーアは、ナチス党大会会場の建築プロジェクトなどで発揮した計画・組織経営管理能力をヒトラーに認められ、一九四二年軍需省のトップに抜擢されました。産業界と関係省庁を巻き込んで部品の共通化などを実現し、生産体制の効率化を行いました。そして就任後半年で軍需物資の大幅増産を成し遂げたのです。

 シュペーアは、ヒトラーの後ろ盾を得て実質的には徴兵の権限まで握っていました。度重なる大敗で膨大な兵力が失われる時期まで、ドイツでは技術者、熟練工の兵役は免除されていたのです。兵器や軍需物資の生産に欠かせない「戦力」だったからです。ヒトラーが特別に撤退させなかったスターリングラードは例外として、食糧の供給が止まった軍隊はありません。日本車のように餓死者を出すようでは、アマチュアの戦争だということです。


資源のない国が人を大事にしなかった

 百田 昭和十七年の後半あたりから、ゼロ戦の戦いはさらに厳しさを増します。質か落ちたゼロ戦の弱点を新型機のグラマンが狙い撃ちしてくる。流れ弾一発でアウトですから、パイロットたちもさすがに「防弾板をつけてくれ」と要求します。燃料タンクも防弾用にしてほしいと、いろいろ注文する。

 しかし防弾板をつけたり燃料タンクを防弾用にして重くしたりすればするほど、ゼロ戦の性能も落ちていく。そこで、ゼロ戦の性能が多少落ちてもパイロットを守るべきか、性能を落とすことはまかりならんかで意見が分かれるのです。議論しているところで、参謀源田実が「うるさい」「余計なことはもう言うな」と。「要は撃たれなければよいのだろう。もっと頑張れ」。それで話は終わり。何の解決策も提示されないまま、精神論で問題が片づけられてしまったのです。パイロットの命を何だと思っているのでしょうか。

 以前、本田稔さんという歴戦のゼロ戦パイロットにお会いして話をうかがったことがあります。昭和十七(一九四二)年から十八年にかけて、ラバウルは「搭乗員の墓場」と呼ばれるほどの激戦を戦ってきました。本田さんはその激戦を生き残った搭乗員です。その本田さんが、ガダルカナル島から未帰還のパイロットは半分以上が撃墜ではなく、自ら墜落して亡くなったというのです。なぜでしょうか?

 じつは帰還中にパイロットが疲労のあまり睡魔に襲われ、意識を失ってしまうからです。帰路、横を飛んでいる僚機がスーッと高度を下げていく。ゼロ戦には無線がないから起こすこともできない。そうして命を失った戦友の姿を幾度も見たそうです。考えてみれば、片道三時間かけてガダルカナル島に着き、上空で十数分戦ったのち、再び三時間をかけて帰るというのは人間業ではありません。自動車でも、七時間近く一度もパーキングエリアに止まらずに運転を続ければ、体がガタガタになります。

 当時の空戦記録を調べると、通常で週二、三回、多いときは週に五回も出撃しています。二十歳前後から二十代後半の若いパイロットが中心だったとはいえ、三日連続で出撃などしたら、体力や集中力がもちません。

 本田さんはゼロ戦出撃時、ドライバーを持参したそうです。眠気が襲ってくると、ドライバーで自分の太腿を突く。ところが疲労が蓄積してくると、そんなものでは目が覚めない。どうするかというと、皮が破れたところにドライバーをねじ込んで、グリグリひねるのです。自分の足の肉をえぐって初めて目覚める。それで何とか無事に帰ってきたのだ、といいます。壮絶そのものです。


 敵機のアメリカ軍はどうだったかというと、アメリカ軍のパイロットは、ローテーションがきっちり決まっていました。一回出撃したら疲れるから、次の出撃まで何日か休みます。そのローテーションでIカ月かニカ月戦うと、いったん前線から引き揚げて、後方勤務になるのです。あと一週間必死で戦えば、後方勤務が待っていると思って、前線にいる間は死にもの狂いで戦います。疲労やストレスを軽減すると同時に、モチベーションを上げる手段でもあるわけです。

 ゼロ戦のパイロットは、昔のプロ野球のピッチャーみたいなものです。アメリカは先発で投げたら、次の登板まで必ず中四日休みます。それが日本の場合は、稲尾和久投手なんか先発、リリーフと毎日投げさせられました。肩が潰れるまで投げろと酷使されて、結局、短い選手生命を終えたのです。いまでも高校野球のピッチャーは甲子園の連投で潰れていきますからね。

 先ほどゼロ戦とグラマンを比べて、昭和十八年以降もキル・レシオの比率は、ほぼ同等を保っていたと言いました。にもかかわらず、パイロットの死亡率では日本側が圧倒的に高かったのです。その理由の一つは、アメリカ軍のパイロットは乗機が撃墜されて海上などに不時着しても、潜水艦や飛行艇によって救助されるシステムがあったからです。

 一方、日本軍の場合、そうした救助の仕組みは皆無でした。撃墜イコール死を意味していたのです。エンジン・トラブルなどで海上に不時着しても救助の見込みがなく、フカに喰われてしまうこともありました。優秀な搭乗員を多数死なせてしまったのです。とてもやりきれない思いがします。

 渡部 そうした実態を知っていたはずなのに、連日、下士官に出撃命令を出していた上官たちは、真の意味で堕落していたというべきです。百田さんは彼らの思いを『永遠のO』のなかで、主人公の一人であるゼロ戦パイロットにこう語らせていますね。

 「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断は出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかってくるかわからない戦場で、八時間の飛行は体力の限界を超えている。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」

 百田 ラバウル航空隊について調べると、とくに歴戦の搭乗員が何度も発進しています。経験の浅いパイロットは撃墜される可能性が高いけれども、歴戦のパイロットは簡単に墜ちない。つまり人よりも飛行機が大事という発想のもとで、優秀なパイロットが出撃を繰り返し、命を落としていったのです。日本海軍はとことん人間を大事にしませんでした。資源のない国が、モノを大事にして人を大事にしなかったことが敗戦を招いた、といってもよいでしょう。

 日本海軍の思想は攻撃一辺倒で、敵軍に攻撃を受けたらどう対処するか、という発想がもともとなかったのです。これは現在の有事立法にも通じる問題ではないでしょうか。他国から攻撃を受けることは考えない、ネガティブな状況ははじめから想定しない、という空気があって、予防の議論に至らないのです。いうなれば言霊主義みたいなものです。結婚式で「切れる、別れる」を使わない、受験生に「落ちる」といわないという忌み言葉と一緒です。しかし戦争に敗れれば即、国が滅びるわけですから、万が一を考えずにはおれません。



明治維新以上の歴史的事件

 百田 戦後生まれの若い人ほど、祖父たちの世代の戦いぶりを知って驚く傾向かあります。われわれは義務教育であらゆる科目を習いますが、欠けているのが近代史の知識です。とくに大東亜戦争については、まったく教えられていない。あの戦争は、明治維新よりもはるかに重大な意味をもつ「歴史的事件」です。わずか四年の戦争で日本は、民間人を含めて三〇〇万人もの人命を失ったのですから。

 戦場では、二三〇万人もの兵士が命を失い、そのうち大正生まれの世代が二〇〇万人を占めました。大正世代の男子は約一四〇〇万人だったから、七人に一人が亡くなったことになります。大正後半生まれの二十代前半から中盤の男子に限れば、おそらく三人か四人に一人は戦場で命を落としたのではないでしょうか。これからの日本を背負って立つ若者のおびただしい数の命が、あの戦争で失われたのです。

 失ったのは、日本人の命だけではありません。アメリカの空襲で、東京、大阪、名古屋、北九州などの国土が一面の焼け野原と化し、半世紀以上かかって築き上げた海外のインフラ、工場や店舗、投下した資本などが全部没収された。まさにあの戦争は、国が滅ぶかどうかの大事件だったのです。われわれ日本人が、率先して学ばないでどうするのか。

 渡部 非戦闘員への非道な爆撃は、日本人という人種への偏見に基づいた大量殺戮であり、ホロコーストと呼ぶべきものです。ホロコーストの原義は、ギリシア語で「(宗数的供物として獣を)燃やす」という意味で、東京大空襲は文字どおりこれに該当します。これは民族絶滅思想(genocide ジェノサイド)に基づくものとして批判すべきです。

 ですから私は、自分の蔵書カタログを英語で出版したとき、序文に書歴を中心とした自伝を書き、文中で東京大空襲について「ホロコーストされた市(the Holocausted City)」と記しました。フランス国立図書館内に本部をもつ古書学会の機関誌に掲載されましたから、日本が受けたホロコーストの事実は、本好きの間では世界的に広まっていると思います。広島と長崎への原爆投下だけが語られがちですが、本土空襲の焼け方を見ると、地方でも似たような爆撃を受けていることがわかります。

 百田 戦争末期、わが国の防空戦闘機は底を突いており、米軍のB29が無防備の本土に跳梁していました。夜間に低空飛行で東京上空を通過し、いったん千葉の房総沖に抜けていく。防空壕に避難していた人びとは空襲警報が解除されると、ひとまず外に出て帰路に就く。その頃合いを見計らったかのように米軍機がUターンしてきて、爆撃を始めるのです。米軍の爆撃の仕方は非道そのもので、四方を爆撃して中央に避難させ、そこにまた爆弾を落とすということをやった。人をどうやって効率的に殺すかを考え抜いた結果です。

 米軍はアメリカ国内の砂漠に日本の街並みを再現し、日本の家屋の効果的な破壊方法を研究することまでやっていました。正確な再現のため、ハワイから日系移民の畳職人や襖職人まで連れてきた。そしてどの焼夷弾、爆撃法を使えばもっともよく燃えるかを試したのです。大空襲は五度でしたが、東京への空襲は一〇〇回以上に及びました。


 以前、ツイッターで東京大空襲についてつぶやいたことがあります。米軍は東京を五度、(大規模)爆撃しましたが、昭和二十(一九四五)年三月十日の一度目がもっとも悲惨でした。無事の民を一夜にして一〇万人も殺傷した。そのように書いたところ、驚いたことに「アメリカにそこまでさせた日本のほうが悪い」という書き込みが複数寄せられたのです。「日本がもっと早く降伏すれば、空襲はなかった」「頑強に抵抗したのが間違い」という趣旨のコメントを見て、私は絶句するほかなかった。終戦をどう図るかという問題と、非戦闘員への大虐殺はまったく別次元の問題です。因果関係を論じること自体がおかしいでしょう。

 渡部 『永遠のO』には、朝日新聞の記者をモデルにしたと思われる人物が登場します。彼は、自爆テロのテロリストと神風特攻隊員は何も変わらない、狂信的な愛国主義者だという持論を展開していました。いくら当事者が、元特攻隊員が、それは違うと否定しても、自分こそが正義と信じて、頑として考え方を変えようとしない。ツイッターのコメントの話を聞いて、このくだりを思い出しました。精神構造がまったく同じです。自爆テロは市民を殺しますが、特攻機は敵の軍艦のみを目的とします。形は似ていますが、本質はまったく違います。


スポンサーサイト
プロフィール

micky358

Author:micky358
何事にも好奇心旺盛な♂です。
船井幸雄さんのファンで、そこで紹介されていた本をよく読みます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。