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消費増税亡国論

題名:消費増税亡国論
著者:植草一秀
おススメ度 ★★★★☆

消費増税の前にシロアリ退治。というのが民主党の大目標だったのに、それを踏みにじったのが、管・野田政権というのが、本当に良くわかりました。

是非、下記のユーチューブ動画を見てみてください。
野田佳彦氏のデタラメに、「ふざけるな!詐欺師!」と怒鳴りたくなるでしょう。


野田総理 マニフェスト 書いてあることは命懸けで実行

天下りの根絶!(麻生内閣不信任の野田佳彦演説)


この他にも、シロアリ退治に注意を向けないようにするために、議員定数削減を言ったりしている財務省の欺瞞。
首相公選はきわめて危険なものであり、二院制には意義がある事。
地方政治の抜本改革として、廃県置藩を断行する提案
公的資金で東電が救済される本当の理由(法治国家なら法律に基づいて行うべき)
TPPに参加すべきでない理由

など、植草さんの鋭い意見に脱帽です。
私が、なるほど……と感じた部分などを、以下に転記させていただきました。

2013年4月追記-----------------------------
植草さんのブログをしばらく見たりしていたのですが、
無実なのに罪人にされた時の被害者意識が強く、反米・反権力・反官僚の姿勢が強すぎるように感じます。
鋭い意見をお持ちなのはわかるが、その姿勢が親中派の勢力に利用されているのではないでしょうか?

孫崎享さんと同様、米国依存からの脱却を目指すのは賛成ですが、
それが、中国重視に繋がってしまうのは、ダメ・ダメ・ダメです。
中国のウイグル・チベットへの対応、天安門事件を見るだけでも、中国の危険さがわかります。

日本がアメリカの保護国の状態であるのは間違いないでしょうが、
それでも、中国の属国になるより、まだマシです。
日本も、早く本当の独立国を目指さねばいけません。

また、植草さんは小沢一郎さんを全面的に支持していますが、彼は完全に親中派で、
安全保障の問題でも「国連依存」的な考えだったり、本当に日本の国柄・伝統・文化
を大切にして、日本の自立を考えているように思えない。
という事で、植草さんの意見も、鵜呑みにすると危険だなあ……と、最近、思っています。
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2009年8月15日大阪街頭演説

 2009年8月15日、決戦の総選挙公示を目前に控えた大阪府堺市。野田佳彦氏は、民主党公認候補の森山浩行氏(現・衆議院議員、大阪一六区)の応援に向かった。車が行きかう交差点で路上に立った野田氏は、浩々と演説を始めた。

  「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは、命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです。書いてないことを平気でやる。これっておかしいと思いませんか。書いてあったことは、4年間何もやらないで、書いてないことは平気でやる。それはマニフェストを語る資格はないというふうに、ぜひ皆さん、思っていただきたいと思います。

  その一丁目一番地、税金の無駄遣いは許さないということです。天下りを許さない。わたりを許さない。それを徹底していきたいと思います。消費税1%分は2兆5000億円です。12兆6000億円ということは、消費税5%ということです。消費税5%分の皆さんの税金に天下り法人がぶら下がっている。シロアリがたかっているんです。

 それなのにシロアリを退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか。消費税の税収が20兆円になるなら、またシロアリがたかるかもしれません。鳩山さんが4年間消費税を引き上げないと言ったのは、そこなんです。シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります」



 野田佳彦氏は2009年7月14日の衆議院本会議で、次のように述べていた。麻生太郎政権に対する内閣不信任決議案に賛成の立場から討論を行ったものである。

  「私どもの調査によって、今年の5月に平成19年度のお金の使い方でわかったことがあります。2万5000人の国家公務員OBが、4500の法人に天下りをし、その4500法人に12兆1000億円の血税が流れていることがわかりました。これだけの税金に一言で言えばシロアリが群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければならないのです」
 ここでも野田氏は、シロアリ退治を訴えている。消費税増税の前に、やるべきことがある。それがシロアリ退治だ。巨大な税金にシロアリがたかっている。ここに増税をしても、またその税金がシロアリに食い尽くされてしまう。シロアリを退治し、天下り法人をなくし、天下りをなくす。ここから始めなければ、消費税引き上げはおかしい。きわめて筋の通った意見を述べた。

……

 小泉・竹中政治のいわゆる「市場原理主義」の政策が日本経済の繁栄をもたらすのではなく、弱肉強食、弱者は死ねという、冷酷無比な格差社会を生み出す元凶であったことがようやく多くの日本人の知るところとなった。これとちょうど入れ替わる形で日本国中に浸透し始めた考え方が「国民の生活が第一」の方針だったのだ。

 市場原理主義の政策は、言い換えれば、資本の論理を経済政策運営の基軸に据えるというものである。すべてのものは「効率」という尺度によって測られる。世界の大競争に打ち克つためには、競争条件の最大の差を生み出す日本の高い人件費を圧縮することが最重要の課題になる。小泉竹中政治が推進した労働市場の規制撤廃は、一言でいえば、企業がより安い費用で労働者を雇うことができることを支援するためのものだった。その結果として、たとえば、製造業における派遣労働の活用が容認されたのだが、2008年末のリーマンショック不況では、製造業が一斉に、突然、非正規労働者の雇い止め、すなわち首切りを断行したために、ボランティアによる日比谷公園の年越し派遣村が脚光を浴びる事態が生まれたのである。

 このなかで、小沢一郎民主党代表が提示した「国民の生活が第一」のメッセージが、きわめて大きなインパクトを日本国民に与えた。政治が本来目標にするべきことは、効率一辺倒の人間軽視の企業成長推進ではなく、すべての国民の生活の安定化、健全化、幸福化にあることに、ようやく日本国民が気付く大きな起爆剤になった。

 米国、官僚、大資本のために存在する政府ではなく、一般の国民のために存在する政府こそ、一般の国民が求めるべき政治ではないかと多くの国民が考え始めたのである。米国、官僚、大資本のための政治ではない、新しい政治。その新しい政治を実現するための新しい政策が具体的に提案されていった。

 その象徴が、普天間飛行場の移設先を沖縄県の辺野古海岸ではなく、海外に求める方針であり、官僚の天下り利権を根絶する方針であり、企業と政治の癒着を生み出している最大の要因である「企業団体献金の全面禁止」という政策だった。

 2009年に民主党代表が小沢一郎氏から鳩山由紀夫氏に交代しても、これらの基本方針は確実に堅持された。鳩山由紀夫氏は、普天間飛行場の県外・国外移設に最後までこだわった。結果的には辺野古移設の合意を米国と結ぶことにはなったが、鳩山首相が公約実現のために全力を注いだことは事実であろう。官僚利権の排除も、方針としてその手を緩めるということはなかったはずだ。企業団体献金の廃止もその意思を撤回したことはなかったと思われる。

 しかし、だからこそ、小沢-鳩山ラインは、激しい攻撃の対象になった。米国は鳩山政権に対する不満を隠そうとしなかった。日米首脳会談にさえ十分な時間を割かなかった。

……


 こんな小話がある。役所の局長室を訪ねた人が、秘書に面会を申し入れた。
 秘書「局長はおりません」
 客「午前中は働かないのですか」
 秘書「午前中は出勤しません。働かないのは午後です」


 この小話で言う役所とは、天下り機関のことだ。無数の公益法人、そして独立行政法人には、官僚OBがやるべき仕事などない。個室、秘書、専用車は三点セットと言われる。

官僚が天下りをする際、最低でも保障される三点セットがこの三つだ。官僚のOBが、夜の接待に呼ばれる際には、専用車を用いる。専用車を用いて会合に出席するのだが、これらのこの専用車による送迎がないことを、彼らは、「足がない」と言う。つまり高級官僚OBは、専用車を失うことを「失脚する」と表現するわけだ。

 官僚の天下りは、大きなものから小さなものまで千差万別である。しかし国民の視点から見て、まず排除しなければならないのは、高級官僚の天下りである。彼らは早い年齢で退職し、天下り機関に再就職する。単に再就職するだけではなく、この再就職を繰り返す。繰り返すたびに高い給料と高い退職金をもらう。野田佳彦氏が次のように指摘した通りだ。

 「年金が消えたり消されたりする組織の社会保険庁の長官、トップは、辞めれば高い多額の退職金をもらいます。その後にまた天下りすることができる。高い給料、高い退職金がもらえる。六回渡り歩いて、退職金だけで三億円を超えた人もおりました」

……

二院制には意義がある

 「大阪維新の会」の橋下徹氏は、首相公選制を唱える。しかし日本における首相公選はきわめて危険なものである。国民世論は右から左へ激しく移ろいすぎる。国民主権の国であるから、国民が政治決定に最終的な権限を持つことは正しいが、その国民がすべての瞬間において正しい判定を示すとは限らない。これは国民自身が自らの経験として、よく認知しているところであると思う。

 2005年9月の郵政選挙で小泉政権を熱烈支持した人が、2008年の年越し派遣村の現状を見たときに、自己の行動を振り返って反省した。小泉政権の延長上に、このような激しい格差社会の到来があるとは予想しなかった、と彼らはロを揃える。

 政権の創出は、場合によっては憲法改正にまで動きうる重大性を秘めているから、国民自身が、石橋を叩いて変化を確かめつつ、変革を進めていくための安全装置が必要である。

 衆参両院で政党Aが過半数を保持していたところから、政党Bによる衆参両院での過半数確保に移行するには、最低でも、衆議院、参議院の二度の選挙を連勝する必要がある。
参議院の過半数確保には時間がかかるから、衆議院一回、参議院二回の三回の国政選挙連勝が必要になる。

 衆参両院での少数勢力から、衆参両院での多数勢力に転換するには、ねじれを経て、なおかつ、次の選挙で勝利しなければならない。本格政権を手中に収めるには、この程度の鍛錬を必要とするほうが望ましいと思う。一瞬の、その場限りの風では、本格政権を獲得できない、ハードルの高さが必要だと考える。

 その場限りの突風で本格政権が樹立され、憲法まで変えて、取り返しのつかない失敗を演じないために、本格政権獲得には、ある程度の時間の経過のなかでも、国民の支持を高水準に保ち続ける安定性が必要である。
 衆参ねじれは国政の停滞をもたらしやすいものだが、政権の暴走を防ぐ意味では、存在価値があるものだと、その意味を見直すべきだと考える。本格的に政権を委ねてはならない勢力に政権を委ね、憲法を改正した上でさらに本格的に暴走してしまうような事態と比べれば、国政の停滞など、はるかに小さな弊害である。この意味で、現在の二院制を、政治の暴走をくい止めるための防波堤と理解する柔軟さが求められる。

……

地方政治の抜本改革・廃県置藩の断行

 政府のムダを切る上で、より重要であるのは、地方政治の改革である。日本には現在1800近くの地方公共団体がある。この地方公共団体にそれぞれ議会があり、議員が存在している。

 2011年段階で、地方自治公共団体は1789存在し、その議員定数は約3万9000人である。この3万9000人には、1789の自治体首長も含まれている。この39000人の地方議員と地方の首長の歳費は千差万別で、きわめて高収入の自治体も存在すれば、非常に薄給の自治体も存在する。市議会議員の平均報酬月額は、横浜市や大阪市などは97万円あるが、夕張市などは18万円である。

 したがって、一概にどれほどのムダがあるとは言いきれないが、日本の地方公共団体に、3万7000人もの議員が必要とは考えられない。

 私はかねて、抜本的な地方行政改革を提唱してきた。全国の地方自治体を小選挙区の区割りに準じて300の自治体に再編する。日本の人口を踏まえれば、一つの区割りに約40万人の人口ということになる。つまり40万人の地方自治体300に日本を再編する。

そしてこの300の地方自治体に、行政権限の大半を付与する。

 国防や外交といった国が担わなければならない仕事は国に残る。どうしても国が担わなければならない仕事だけを国に残し、残りの行政事務すべてを地方自治体に委譲してしまう。行政機能をできるだけ住民に近いところに付与するわけだ。
 問題は財源である。財源は人口分布に比例して分布していない。大企業が大都市に集中しているため、税源に著しい偏りがある。したがって財源については国か地方公共団体の代理機関がまとめて吸収し、全国300の自治体に配分を行う。いわゆる財政調整制度を維持するわけだ。

 300の自治体に、それぞれ30名定数の議会を設置すると、全国で議員定数と首長の数は9300ということになる。現在の3万9000人から四分の一に減少する。膨大な行政経費の削減が可能になる。

 そして40万人の地方自治体が積極的に人材を活用し、登用する。同時に地方独自の行政を展開する。自治体間の格差は大きくなるだろう。300自治体による大競争を実行させるのだ。人の移動も活発化するかもしれない。劣悪な行政運営を行う自治体から人が流出する。逆に優れた自治体運営を実現する自治体には人が流入する。

 情報は伝播され、切磋琢磨のなかで、自治体経営の質が向上してゆく。全国300自治体による大競争の成果が花開くだろう。

 日本は狭い国である。文化的な地域差も小さい。国と基礎自治体の間に、中二階を設定する必要はなく、日本の場合、道州制を採用する必要はない。国と300の基礎自治体の二階建ての構造が簡素で効率の良いシステムであると思われる。中央政府は全体の調整、国でなければできない仕事だけを担う。

 江戸時代の日本の藩は強い自治権を有した。江戸幕府は存在したが、基本的な行政は藩に委ねられた。藩を軸とする連邦制が敷かれていたわけだ。

 これを、霞が関がすべてを決める体制に転換したのが明治である。藩を廃し、都道府県を設置した。これが廃藩置県だが、いま求められているのは、その逆にあたる、廃県置藩である。


 霞が関がすべてを決定してきた方式を、それぞれの地域がすべてを決める方式に変える。工業化社会においては、画一の規格、寸分違わぬ統一性が重要だったが、経済のサービス化、ソフト化の時代を迎えているいま、画一性、統一性よりも、多様性と独創性が求められている。

 この多様性と独創性の華を開かせるために、都道府県を廃し、藩を設置するのだ。中央集権を廃止して、地方主権を確立する。それぞれの地方が、すべて、一つの中心になる。

消費増税の税収をめぐって、国と地方が醜い争いを展開しているが、機能で国と地方が棲み分けを実践するべきだ。国は、どうしても国でなければならないことだけに役割を限定する。基本はすべてを地方が担う。だから、財源も基本は地方財源化するのだ。

 東京・大阪・名古屋の大都市で、万人の首長が数百万の市民を統治するのは、合理的でない。人口四〇万人規模の基礎自治体に区分し、それぞれの区分した自治体が独立性をもって行政を担う。本格的に地方自治が動き始めるときに、日本の躍動が始まるはずだ。

……


公的資金で東電が救済される本当の理由

 東京電力が家庭用電気料金を2012年7月から10%引き上げる方針であることが判明した。また、東京電力は家庭用とは別に、事業者向け電気料金を本年4月から17%引き上げる方針を示している。筋の通らない政策を容認しているのは野田佳彦内閣である。

 実質債務超過の東京電力を法的整理しない日本の政府は、世界の笑いもの、世界の七不思議の一つに数えられている。日本は表向き、法治国家であることになっている。法治国家であるなら、ものごとの処理は法律に基づいて行う必要がある。ものごととは、東電が2011年に原子力事故を引き起こしたことだ。この原子力事故の損害賠償が重要政策課題になっている。

 日本で原子力事故が発生した場合、損害賠償をどのように進めるのかについては、「原子力損害賠償法」という法律がすでに定められていた。この法律が唯一の法律である。そしてこの法律に、原子力事故が発生した場合の損害賠償の方法が明確に定められている。
したがって、政府はこの法律に沿って問題処理を進める責務を負っている。それが法治国家における政府の当然の行動だ。
原子力損害賠償法第三条に以下の条文がある。

 第二章 原子力損害賠償責任
  (無過失責任、責任の集中等)
 第三条 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない。

 法文解釈に曖昧な部分はない。原子力事故の損害賠償責任は当該事業者が負うことが明確に定められている。当初、一部で疑義が存在したのは、この条文のただし書きについてだ。「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」という部分だ。「異常に巨大な」の解釈については、国会でも過去に論議されてきた。人類史上経験したことのないような規模の天災地変であるとの理解が政府から示されてきた。
 今回の原発事故の原因はまだ完全には究明されていないが、福島原発で観測された地震の揺れと津波が事故発生の契機になったことは間違いない。

 しかし、地震の揺れも、津波の規模も、「人類史上経験したことのない規模」のものではなかった。それどころか、独立行政法人産業技術総合研究所などの専門機関が、再三にわたり、政府と東電に、福島原発の津波対策が不十分であることを警告していた事実が明らかにされている。

 最近では、1896年の明治三陸地震津波が、今回の津波と同規模であった。研究機関は、明治三陸地震と同規模の地震が、この地震よりも南側にずれた地点で発生した場合の津波発生状況をシミュレーション計算した上で、福島原発の津波対策が不十分であるとの警告を発していた。

 古くは西暦869年に発生した貞観地震津波が今回と同規模のものであったことが確認されており、産総研および東北大学、東京大学などによる共同研究は、この規模の地震および津波が東北地方太平洋岸に定期的に襲来している事実を明らかにした上で、東電福島原発の津波対策の不備を強く警告してきたのである。

 東京電力はこうした警告を、津波対策強化に費用がかかることを理由に無視してきた。その延長上に今回の重大事故が発生したのであり、東電が責任を免れないことは明白だ。こうした経緯を踏まえると刑事責任が問われる必要があるが、警察当局はまったく動いていない。東電が警察関係OBの天下りを30人以上受け入れているために、刑事捜査が行われていないと考えられ、既述したシロアリの弊害はここにも表出している。

 「地獄の沙汰もカネ次第」と言うが、まさに、「警察沙汰もカネ次第」、「警察沙汰も天下り次第」という現実がここに表れている。

 原賠法の規定により、東電が損害賠償責任を負う。損害賠償金額が東電の純資産を超えるため、東電が債務超過に陥る。債務超過に陥ることを破綻と呼ぶ。したがって、東電を破綻処理、法的整理しなければならない。

 ところが、一部の人々が、法的整理はできないと主張して、法的整理をしないまま、今日に至っている。法的整理できない理由として挙げられているのは、
 一.安定的な電力供給が損なわれる
 二.金融市場が混乱する
 三.損害賠償原資が枯渇して損害賠償に支障が生じる
 というものだが、すべて正しくない。


 会社更生法を用いて法的整理をすれば、安定的な電力供給は可能である。金融市場参加者はリスクを認識して参加しているため、混乱は生じない。検討の必要があるのは、三つ目の点だ。

 法的整理する場合、東電に対する債権者に対して、法的な弁済順位に従って弁済が行われる。その際、たとえば、東電社債の保有者が持つ債権は、一般担保権付社債であり、損害賠償債権よりも高い弁済順位を与えられる。このような手続きで法的整理が行われると、東電資産が枯渇して、原子力事故の損害賠償に支障が生じるというのだ。しかし、この点については、原賠法一六条の規定を用いれば、問題は解決できる。

 第四章 国の措置
 第16条 政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者(外国原子力船に係る原子力事業者を除く。)が第三条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。
  二 前項の援助は、国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内において行なうものとする。

 つまり、東電の損害賠償原資が不足する部分について、原賠法第一六条の規定によって、政府が援助を行えば、問題は生じない。これを実行するには国会の議決が必要だが、国会は原発事故被災者の支援を重視しており、議決は行われるはずだ。

 つまり、東電を法的整理しない理屈は成り立たない。

東電を法的整理しないとき、誰が得をするのかと言えば、株主と金融機関だ。法的整理する場合、株主は出資した資金の範囲内で責任を問われる。金融機関は貸金の一部を貸倒れとして損失処理しなければならない。

 貸し手の第一位は、2010年3月末時点で日本政策投資銀行だった。財務省の最重要天下り機関だ。財務省は事故発生後に、民間銀行に巨額の短期資金を東電に融資させ、東電のメインバンクが日本政策投資銀行ではない偽装をした。


 政府が東電救済策を強硬に推進しているのは、財務省所管の日本政策投資銀行を救済するためなのである。金融機関が負うべき責任が免除されて、その負担がそのまま、電力利用者に転嫁される。高い電気料金で、電力利用者が原発事故の損害賠償資金を払わされるわけだ。これも、財務省主導による隠れた増税である。シロアリが安泰に蜜を吸い続けられるように、一般国民に負担を押し付ける構図がここにもはっきり見てとれる。


……


日本がTPPに参加すべきでない理由

 TPPの問題点については、経済産業省に所属し、京都大学に出向している中野剛志氏による情報発信の功績が大きいが、日本にとってはほとんどメリットのない政策であることが明らかにされている。
 環太平洋経済連携協定とはいっても、アジアの成長を取り込むという大義名分がつけられているのに、アジアの成長の中心に位置する中国が含まれていない。韓国も、インドネシアも、インドも含まれていない。つまりこれは、アメリカがアジアの成長への足がかりを確保し、中国に対抗するためのために活用しようとしているプロジェクトなのである。
 TPP参加国は小国が多く、日本が入れば日米で全参加国のGDPの九割以上を占めてしまう。日本がTPPに入ったところで、日本が輸出を仲ばす余地はほとんどない。

 米国がなぜ日本をTPPに引き込もうとしたのかといえば、狙いは二つある。一つは、日本市場そのものが、米国にとっては依然としてきわめて有望なマーケットであるからだ。日本の市場をこじ開け、米国企業が日本で自由に活動できる状況を生み出す。これが第一の狙いである。

 第二の狙いは、アジアの一部を含む自由貿易協定を米国が支配することにより、アジア進出への確実な手がかりを得ることである。米国の狙いが、中国を軸としたアジアの成長にあることは言うまでもない。いわば、アジア市場の主導権を簡単には中国に渡さないという、米国の一国大国主義の表れがこのTPPなのだ。

 TPPは単なる関税率の引き下げだけではなく、各国の制度や規制にまで干渉するところに大きな特徴がある。単なる自由貿易協定(FTA)ではなく、各国制度・規制にまで影響を及ぼす経済連携協定(EPA)の側面が非常に強い。

 そして、原則として例外のない関税の撤廃が謳われている。さらに、ISD条項のように、各国制度が企業に、あるいは投資家に不利益を与えたとして、米国にある世界銀行傘下の仲裁機関に提訴し、賠償金をもぎ取るといったことも画策されており、過去の事例では米国企業が各国政府を訴え、巨額の賠償金を獲得したことが報告されている。

 日本で懸念されていることが大きく三つある。

 第一は、日本政府が国内基準として設定している、国民の生命や安全、あるいは環境を守るための仕組みが破壊されかねない点だ。輸入牛肉のBSEの危険性の排除、遺伝子組み換え食品の危険性に対する対応、あるいは排ガス規制がある。日本では軽自動車が税制上優遇されているが、このことにより軽自動車が普及し、相対的に排気量の小さな車が普及している。米国は軽自動車の生産を行っていないため、軽自動車に対する税制上の優遇措置が米国企業に不利益を与えているという主張を展開している。こうした国民の生命、健康、環境に対する日本独自の規制が、米国の圧力によって破壊されかねない。

 第二に、日本の公的医療保険制度にヒビが入りかねないという問題である。アメリカの医薬品メーカー、医療機器メーカー、そして保険会社が日本の制度変更を強く求めている。公的医療保険でカバーできる医療行為が圧縮されると、日本でも個人が公的医療保険とは別に、有料の民間医療保険商品、医療保険制度に加入せざるを得なくなるかもしれない。

この民間医療保険ビジネスの先頭を走っているのが米国の保険会社である。米国の保険会社は、この商品の販売を日本で拡大するための戦略を保持していると見られる。こうした米国企業のビジネス戦略のために、世界でも高く評価されている日本の公的医療保険制度を破壊しかねないとの警戒感が持たれている。

 第三の問題は、日本の農業の激変である。農家一戸あたりの農地面積は、日本を1とすると、EUが約9倍、アメリカが99倍、オーストラリアに至っては1900倍という現実がある。このなかで、農産物の関税率が撤廃されてゼロになると、大半の日本の農業は壊滅的な打撃を受ける。米国ではたとえばカリフオルニアでお米の生産が行われているが日本に対する輸出が解禁されるとなれば、日本人の嗜好に合うコメ作りが一気に展開され、日本人の好みに合うコメがきわめて安い価格で輸出されることになるだろう。これに太刀打ちできる日本の米作農家は、きわめて限定的なものにならざるを得ない。日本の農業が壊滅的な打撃を受ける。

 前原誠司氏は、日本の農業のGDP比率が1.5%しかないことをあげて、1.5%のために98.5%を犠牲にするのかと訴えたが、事実誤認もはなはだしい。TPPによってメリットを受ける可能性のある製造業は、日本経済全体の17.6%にすぎない。前原氏流に言えば、17.6%のために82.4%を犠牲にするのか、ということになる。

……



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船井幸雄さんのファンで、そこで紹介されていた本をよく読みます。

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